セネガルで暮らしながら
セネガルへ移り住み2年3ヶ月、生活を終え心穏やかに帰郷した。 一時的ではない、とうぶんの着地。 この2年と少しの期間を通して、私の人生観には大転回が起きた。 一つ。”生かされている”という感覚が常態としてインストールされたこと。 この私の人生は私が…
セネガル最後の二週間、あきらかに時間の体感速度が落ちていて、棚からぼたもちの気分だ。 いまの日常が日常ではなくなるから、日々の終わりが見えているから、こんなにも毎日がよく見え、ゆっくりに感じられるのだろう。普段もこうがいいと思ったって、そも…
本当に正しければ大声にして主張する必要はない。 真実は、静かなものだと思う。 自分の正当性を、大きな声や態度、言葉にして振りまかないといけないほど虚しい心の状態もない。その心はいつも不安で、でも同時にその不安を隠したくて、正しさという主張を…
なぜかわからない力に引っ張られて、いくことに決めた旅。 はじめての国を、自分なりに存分に楽しんだ。 ここに住んだらどうだろう?という視点を常に持っていた。 はじめ、セネガル人に比べて内気な印象を受けたコートジボワールの人たち。でも3、4日目と…
コートジボワールは、おいしい。 アチェケAttiéké マニョック芋から作られる、この国の主食。魚や豚や鶏のメインと玉ねぎソースを一緒に。地元流は手でいただく。アチェケ自体はぽろぽろしているけど、付け合わせと一緒に握って寿司のシャリみたいにすると上…
セネガルには、日本と少し違う挨拶のルールがある。 ある空間に人が入っていくとき、挨拶の第一声を発するのはその場に新たに入るその人だ。お店やバス、ちょっとした話の輪などその空間の新参者が「こんにちは」という。 たいてい年齢や立場は関係なく、ま…
セネガルから3時間、ご近所の国コートジボワールへ。普段ダカールにこもってばかりいる私にしては、珍しいことだ。 数年来、この国には来てみたいと思っていた。特にしたいことがあったというわけではなくて、漠然と行かなければという感じ。そしてこのタイ…
セネガルの木彫り屋さんで、埃をかぶったブッダを見つけた。 こういう出会いが私の日々を彩る。 聞けば、中国の仏像の写真を見てセネガル人の職人さんが彫ったのだそう。おそらく、特に仏教への信仰心はなかったのだと思う。 それでも、一度形にされたものに…
わくわく感情が湧く。からだの内側から、何やらわくわくきたぞ。 喜び、希望、悲しみ、怒り…内奥から上がってくるそれを、見つめている。 上の「わくわく」の使い方は、本来誤用であるらしい。辞書には「期待または心配などで心が落ち着かず胸が騒ぐさま」と…
誰かがドアをばたんと閉めたことで、誰かの行く道が変わる。偶然の大雨が、予想外の方向へ人々を運ぶ。それらの出来事は、一つの川のさざ波として全体の流れをつくる。 人生を川にたとえた例は数知れない。川は人の世の在り方に近い動きをするようだ。 自分…
何かが欠けているとき、人はその欠けていて存在しない”何か”の像を追い求める。焦ったり、いらいらしたり、残念がったり、どんよりしたり。「ああ、あれがあればなあ」 ”あるがままを見る”これがけっこう難しい。人間の動作の中でも、難易度は★5。 あるがま…
荘子が、突然あたまにこだまする。 目を転じて、あの空虚(うつろ)なものを見るがよい。物ひとつない空虚な部屋には、さんさんとした太陽の光がさして、あのような明るさがあるではないか。幸福もまた、あがきをやめた空虚な心にこそ、とどまり宿るのである。…
鉄格子の窓辺にハトが休憩しにきた朝、穏やかな心地でこれを書いている。 今が朝であること、手元のお茶の味、扇風機の風、胃腸の音、心の状態…。私はまだ、これらの実感を持っている。ほっと胸をなでおろす。 こんな風にものを感じながら、人間としてこのか…
セネガルを、近々去ることにした。 次は何処へ行こうか。 今の生活を、きちんと片づけたい。人、仕事、持ち物。少ないけれど従事していることのひとつひとつを、棚を整理するように振り分けていく。身も心も、引っ越し作業に入った。 腰を据えると物理的な関…
あたし、なんにもなくてもやっていけるもの。(p18) エンデの『モモ』、冒頭のあたりで浮浪児モモが発する言葉。モモのすごさはこれに尽きる。 何がって、無所有でも大丈夫という自信、あくせく何かを求めず天に任せる姿勢、ここまで振りきれる力だ。この発言…
えんぴつとノートさえあれば満たされている。いい状態だ。いつもの定位置に心が戻ってきたようで嬉しい。ささやかな毎日を過ごし、ときどき振り返って幸せと思う。これ以上、何を望むことがあろう。 わたしは、これからはもう走らないぞと決心しているーーー…
ここへ来て二年の節目だ。 この一、二カ月でなぜアフリカ、なぜセネガルなのだろうと改めて振り返ることがあった。 もとよりアフリカに惹かれていたというのは以前書いた通り。でも、もっと根底にある人生の進め方、行動の型、思考の癖のようなものが結局は…
外界からのあれこれに思いがわく。 反射で応えるのでなく、深く深く受け止めひとつずつ丁寧に処理をする。 ● 黒く汚い想いもすべて こねて丸めて糧としよう 傲慢や悲しみ、憎しみも まん丸にして心のびんに詰めましょう かわいいビー玉 シャボン玉 みたらし…
お金のことでわんわん騒ぐひとのことを書いた。あの後もなぜか立て続けにお金がらみで絡まれ、そういう時期もあるのだなとみている。 おかねおかねと言われ続けると、いい加減辟易してくる。 お金が欲しい人で、世の中あふれかえっているようだ。世の中とい…
セネガルにきて二年がたとうとしている。すべてが日常になったとずっと書いてきたけれど、もうそのことさえも意識しないくらい頭の中や体は丸々セネガル仕様になってしまった。 ただ、だからといって特別なことは何もなくて、どこにいてもやっているようなこ…
金を出せ!金を払え! とまくしたてられることが最近何度かあった。 わんわん わんわん 凄い剣幕だ。 お金のためにこんなに吠えられるのは相当に元気な証拠だ。 そんなに喚かなくてもあげるよ。 そんなに怖い顔しなくても大丈夫だよ。 おかねやおかねで手に…
言葉が止まっていた。心身の疲れは自律神経と一緒に言葉の供給まで乱すようだ。全部一旦やめて、いつも通り息を、言葉を吸えるように休んだらいい。 最近は「身の丈」ということを考えていた。自分の身の丈はどのくらいか、それを越えていないか。周りで起こ…
「なにかほしいものがあればあげるよ」 というスタンスでいる。 勝手に取っていいよ、なんでもどうぞ。 世界中の欲しい人に私をばらまきたい。 世の中はわからないことばかりだ。わからない世界にふらりと出てきて、途方に暮れながら裸足でうろついている。…
外見はいくらみすぼらしくても耐えられるが、 精神がみすぼらしいのには決して耐えられない こう思っている。 私は、精神をなによりも大切に思う。 「精神がみすぼらしい」とはどういうことだろう。 ぼろきれを繕ったような、嘘偽りで取り繕った魂 長らく洗…
4月になっても肌寒い気候が続いている。すぐに暑くて耐えられない時期がくることはわかっているけれど、それでももう少し温かくなってほしいと願ってしまう、ないものねだりのわたし。 身体に心に、あまり調子が良くない日々だ。一度こうなってしまったら抜…
人の話を聞いているとき、「○○した方がいい」という助言を安易にしてしまうことがある。それは往々にして聞き手の願望にすぎなくて、その発言がどんなふうに話し手に響くのかまでは、考えられていない。 聞き手は話し手が好きだ。自分の思う通りに話し手を導…
遠くでみんながわいわい笑っているのをきくのが好きだ。私はそれを耳にしながら、ひとり離れてにこやかに座っている。物事と自分のあいだには、それぞれにとっての心地いい距離感がある。いいと思える場所にいられればそれで十分。 いままでのようにできない…
以前書いたものを見返して、ああ大丈夫だと安心する。人生は一冊の本だ。 何でもないことでも書き連ね、その時々の気持ちをじぶんの言葉で残しておく。少しずつ積み上がった一言の覚え書きが、いざというときにじぶんを救う。本のように生きよう。一刻一刻、…
ラマダンの時期がやってきて、朝の近所がどことなく静かだ。私は参加しない異邦人として、静かにこの国を眺めている。日々の流れに目を取られて自覚しにくいけれど、季節は確かにめぐっている。空を見上げる時間をなくさないよう。 月の出でラマダンの開始日…
目の前のちいさな喜びのひとつひとつにその都度満足する。こんな人生を送りたい。 降り続く雨やとめどない雷、外の天候が不安定だ。 私は心地のいい温室で、足下のちいさな花を、心や身体や時間、私にあたえられたもの全部で味わう。ゆっくりだろうと、周り…