年明けから、文化センターの哲学講座に通っていた。
仕事や収入に直結するわけではない、ただやりたいからという理由で行き始めた講座。終わって思うのは、やりたいことを好きにやらせてあげられてよかった、ということ。
資格試験の勉強などともまた違う、しっとりとした充実感だった。行っても目に見えては何も変わらない、目的を社会におけるあれこれに定めない活動は、それでも(それだからこそ?)、人生を味わい深いものにする。
「てつがく」は自分の頭で考えることだ。本来一人でできる。
自由とは、時間とは、生とは、死とは、在るとは、私とは。授業では、いつも一人で考えているこれらの謎を、さらに考え進めるための方法を教えてもらった。学術的な「哲学」をするにはとうてい頭が足りなくても、自分の疑問を自分で考えることは、誰にでも開かれている。
「わからないことがわかる」とよく言うけれど、まさにそれ。これまで人々が考えてきた知の蓄積はまるで大波のよう、上も下もわからない。波にのまれてあたふたするとはじめは苦しいけれど、不思議、あらがうことやめると次第に気持ちよくなってくる。深い海の底知れない未知にわくわくしながら、大洋を渡るための泳ぎ方を練習する。
井の中の蛙もたまには大海に出てみよう。他の生き物にも会ってみよう。そのためにはお金がかかることもあるけれど、なに、それだけのこと。自分の余裕に合わせた旅をして、海や山を駆け巡り、また井戸に戻って考える。
そのうちに、井戸の水は山から海へ、深くではつながっていることがわかったりして。
今日も水に浮かんで、考えをめぐらす。蛙。