セネガルで暮らしながら

アフリカでのささやかな日々の中、ふと思ったことを書いています

社会は小宇宙にすぎない

「社会から滑り落ちたら終わり」みたいな考え方への疑問。

 

現代の私たちは、どうしても社会というくくりで物事を見がちだ。どんな学校にいって、どんな会社に入って、どんな家庭をつくって…。

でも、それがすべてではないよね。社会は近年人間が作り出したものにすぎなくて、私たちの生はそれも包含するもっと大きな自然とか宇宙とか、そういうもののなかにあったはず。社会は、宇宙全体の小さな一部(小宇宙)にすぎない。

現代を生きる限り社会に属することは必須だけど、そればかりでは視野が狭まる。社会から与えられた情報を、それが真理とばかりにそのまま思い込む。「未来は真っ暗」「安定している仕事が善」「何歳までに〇〇しなきゃ」…うーんと、確かにそうかもしれないけれど、それを信じる前に自分の頭で考えました?あなた自身は、あなた自身の生についてどう思います?

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生きるということを、もっと直にとらえたい。社会でうまくやっていく方法よりも前に、まずは自分の生、生きるということはどういうことかを考える。

何も考えず社会の言う通りに進んでいると、いつか「あれ?」となるときがある。息継ぎもせず引っ張られるままここまで来たけど、結局何のために生きていたっけ?このまま終わっちゃうの?

どんな社会に属していようとも、生きて死ぬ、ということに変わりはない。結局は、社会を包み込む自然、宇宙の法則通りになる。それなのに、社会社会、時代によって真偽・善悪の変わる一時の常識を盲信していると、本当に大切なことや自分が望んでいることが見えてこない。社会から滑り落ちたら終わり?私はそうは思わない。

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個人的に、日本社会はこの強迫観念が強い気がしている。進学、就職、退職、その隙間に何かを挟むことが悪であるような、圧力や思い込み。いくつまでに〇〇していなきゃ、いくら貯金をもってなきゃ。これらに失敗しそうになった人が究極の選択をしてしまうことが多い、ということもその証拠だ。

一方で、アフリカ生活。社会よりも、「生きる」の方を直視できる。もちろん進学率や失業率など厳しい問題もあるけれど、それは裏を返せば、自分の人生を直視できる環境であるとも言える。1年や2年所属先が決まらなくても、貯金がゼロでも、みんな生きてるんだもの、実際。

私はいつだって、生と死を直視して自分の頭で考える。社会のくくりを超えた、もっと大きな視野で物事をみつめたい。