セネガルで暮らしながら

いつも同じ話をしている気がします

田中冬二という詩人

「春雨けむる山里」と言う小学生の習字を掲げた小さな駅

 

私の大好きな詩人のひとり、田中冬二(1894年~1980年)。

この人の作品はどれも、詩ではなくてもはや絵だ。言葉という筆を使った絵画。どうして詩から風景が、においが、風が、感じられるんだろう?

この駅の光景が、ありありと想像される。田舎の駅の、あの感じ。外はのどかな春、少しさびれた無人の小さな駅。昼間の利用者といえばおばあちゃんと子ども、習字の掲示の下で座っている。電車はまだ来ない、スズメの鳴く静かなホーム。遠くから踏切の音がして、ふたりはホームに進む。電車がゆっくり近づいて、駅の桜は風でゆらめき…。(私の想像です)

 

枕草子』の空気を、どうしたって完全には味わうことができないように、作者の描いた時と自分の生きた時代(経験したもの)との距離が広がれば広がるほど、五感全部で作品を経験することは難しくなる。きっと冬二の作品も、百年もすれば身体全体で読める人はほとんどいなくなるのではないかと思う。

今、彼の作品を、私が、楽しむことのできる嬉しさ。

 

大根おろし雪の如し 鯖の塩焼に

 

アポロが月の世界から採って来た石より わが家の台所の漬物の押石

 

鴈擬き(がんもどき)の出来たての温かいのを買って帰り早速生姜醤油で食べる
梅雨入りのような六月五日

 

句集「麦ほこり」の巻末に
――村の駄菓子屋のラムネの壜にふりかかる麦ほこり
  これはそんな麦ほこりのような句集だ

引用はすべて、田中冬二 詩集『サングラスの蕪村』から
※この詩集は、詩作のためのメモをまとめたもの

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まさかセネガルまで旅するとは思わなかっただろうな