セネガルで暮らしながら

アフリカでのささやかな日々の中、ふと思ったことを書いています

詩集が完成した

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出来上がりました。

「何かを創ることは楽しい」と前に書いたけれど、完成して形になったとき、このことが一層身に染みて感じられた。

 

つくっている最中の充実感もよかった。それと同じくらい、完成したときのあの感覚。詩集を前にしたときなんだか不思議で、まるで自分の子供ができたみたいだった。感受性(頭)と言葉だけで、私がゼロから生み出したものがここにある!事実、これは私の“思考の子供”なのだろう。創作をしている人たちが口をそろえて言う喜びは、このことだったのか。

印刷したのは3部。自分用に一つ残して、あとは大切な人に受け取ってもらった。

でもやっぱり子供と同じで、生んだのは私だけれど私の外に出てしまったら少し距離があるというか、私そのものとは違う。私はあなたではないので、好きなように人生を旅してください。印刷されたものがどういう軌跡をたどるのか、それはもう親の知るところではない。私はというと、次の詩を書き始めている。

 

ただやりたいからやった、自己充足の作品(つまり趣味)。生産性や経済効果など一つもない、資本主義社会から見れば「無駄」な行為。でも、だからこそ、不安やストレスゼロの心からの純粋な喜びがある。

こういう、生活の中の一見すると無駄なこと、そこから得られる充実感を大切にしていたいと思う。いろいろうまくいかなくなったとき、例えば日々に疲れたり、経済的に立ち行かなくなったり、社会からはじかれたりしたとき。その時に効いてくるのは、日々積み重ねたこういうものたちかもしれない。

(結局役に立たなかったとしてもちっともかまわないところが、「無駄」のいいところです)

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