セネガルで暮らしながら

アフリカでのささやかな日々の中、ふと思ったことを書いています

首都が似合わない

ダカールの雑踏のなかでうわーっとこの感じが押し寄せてくるとき、いつもおかしくてふふっと笑う。首都に住んでいるくせに、つくづく首都が似合わない。

似合わないと思うのは、経済や流行の中心地という意味での“首都的な感じ”。そういうものに疎い私には、ダカールにいる自分がどうしても場違いに思えてしかたない。

そういうこともあるのだろう。似合わないところに住むことも。一方で、似合わないのに生活が“合っている”場合があって、私にとってのセネガルはそれなのかなと思う。首都的な感じは私とは遠いけれど、暮らしのリズムや空気感、人の感じなんかは気質に合っていて、すきだ。

 

生活において、住むことや食べること、働くことはどういう位置づけなんだろう。それらがどのくらいの比重を占めていて、自分にとって絶対に欠かせないものは何だろう。譲れないものや許容できる範囲を知っていって、日常を自分色にカスタマイズできたらいい。

生活スタイルというのは、日本だろうとセネガルだろうと別の国だろうと、ほとんど変わらない。一人が好きな私はどこにいても一人でいるし、インドア派な私はセネガルでもインドアだ。自分のやりたいように、かつ他人に無理のかからないように暮らしていけたら、万々歳なんだと思う。

 

日々の生活で、 原因不明の小さなモヤが湧くことがある。 自分の調子が悪いとき、つい他人の言動に目がついて、無意識な不機嫌をまとってしまうようなこと。一見理由のわからないそういうものを放置していると、それがどんどん溜まっていって、大きな悩みや腹立たしさ、不安といった負の感情に成長してしまう。これが、自分や他人に悲しい形で影響を及ぼすのかもしれない。

そうならないように、モヤの原因をちゃんと見つめて発端の気持ちを整理・処理できたらいい。原因がわかれば不愉快をなくせるかもしれないし、案外大したことじゃなかったなと思えるかもしれない。

 

違和感を伴ったちょっとした感情を放置しないように、何かが湧いたと思ったら原因探しに内側に潜る。自分の機嫌とるためには、外ではなく心の内を見てあげることが一番の近道なのだと思っている。

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