セネガルで暮らしながら

アフリカでのささやかな日々の中、ふと思ったことを書いています

日常のイスラム教

 

9割の人がイスラム教徒のセネガル

いたるところでその文化に触れることができる。

 

朝の心地よい目覚ましは、モスクから聞こえてくる声。

道端でお祈りする人、露天で売っている経典やお祈りグッズ。

イスラム教とアフリカの要素がそれぞれ入った、伝統的な衣装。

現地語の会話に混ざる、アラビア語のフレーズ。

道路わきで売られている、犠牲祭用の羊たち。

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車やスマホといった現代テクノロジーと、昔から続く静かな信仰が混ざり合った世界。この絶妙なバランスが、セネガルの風景をつくっている。

どの宗教であれ、自分が大切にするもののために祈る人々の姿は美しい。       

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普段の会話でよく使われる、アルハンドゥリラー(Alhamdulillah=おかげさま/神様に感謝します)という言葉が好きだ。

例えば、「あなたは元気?日本の家族はみんな元気?」と聞かれて、元気だよと返すと、その返答に「アルハンドゥリラー」。

相づちみたいに使うこともあるけれど、気持ちを込めて「ああみんな元気でよかった!」と言われると心が温かくなる。

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日本も含め、世界中多くの地域で「おかげさま」「(何かに)生かされている」という表現があるけれど、宗教のおおもとはこの気持ちなのかもしれないと思う。

何か大いなる存在への信仰は、抗えない運命や、時に無情に見える自然と付き合っていくための、人間の知恵だ。

 

一方で、西アフリカの経済の中心であるセネガルには、周辺諸国から多くの人が移り住んでいる。それもあり、外国人や他教徒向けにアルコールを出す店も多いし、場所によっては豚を食べることもできる。

お互い自分の守りたい部分は大切にしながら、それを他人には押し付けず、共存しているところがいいなと思う。

 

私もセネガルに住まわせてもらっている異分子として、相手を尊重しつつ、自分自身の生を送りたい。

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