セネガルで暮らしながら

アフリカでのささやかな日々の中、ふと思ったことを書いています

セネガル散歩

ひたすら散歩をしている。

歩きながら、新しい発見をしたり、じっくり考え事をしたり、ぼーっとしたり。

 

異国の街歩きは、五感が刺激される。

外へ出るたびに不思議で面白いセネガルに出会えるので、飽きることがない。

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マルシェの中の独特な生臭さ、
同時に聞こえるクラクションと馬のひづめの音、
強い日差しに汗ばんだ肌にまとわりつく砂、
道端で売られている乾燥デーツの甘味…。

 

だけど何といっても驚かされるのは、街中の人、人、人!島根から来た私にとっては、結局これが一番新鮮かもしれない。

道路や家、マルシェなどいたるところに人がいて、活気に満ち満ちている。

満車のバスにしがみつく人、路上でジュースや服を売る人、市に群がるマダム、日陰で休むお年寄り、物乞いをする人…。

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ひしめき合う人で混沌としているようで、みんながそれぞれ大小関わりながら生きている。社会の中で誰の存在も消されていない、この感じが好きだ。

 

道端で人を見ることも少ない島根の田舎に比べて、人々が「ただそこにいる」ことが目に見えてわかることが、お互いの無意識レベルの安心につながるのだと思う。

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散歩中、出会った人と仲良くなり、木陰で一緒に座ることもある(セネガルの人はフレンドリーなのでよくあることだ)。

食べ物のことや仕事のこと、互いの生活のことなどゆったりとした空気の中、時間を気にせず話す。

私を誰かと間違えているおばあちゃん、休憩している軍人さん、カフェトゥーバ(セネガル流コーヒー)を飲む若者たち…。

言葉がすべて理解できなくても、彼らと共有するこの時間が好きだ。

 

もちろん犯罪は多いし、悪いことも考える人もいる。だけど、そんなのどこの国でも同じだ。誰と関わるときでもこちらは心を開き、相手の芯の部分を見極めたいと思う。

 

私の足で歩き、見て、聞いて、匂って、触って、食べる。

これこそ、どんな技術をもってしても誰にも代わってもらえない、まさに自分にしかできないことだ。

一歩一歩セネガルを踏みしめたい。

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