私には、セネガルで通るもう一つの名前がある。
「アミナタ・ジョップ」
イスラムの女性の名前(アミナタ)と、セネガル一帯に多い苗字(ジョップ)の組合せで、現地の友人につけてもらった。
以来、時と場合にもよるけど「セネガルネームはアミナタです」と名乗ることがある。
多くのセネガル人がこの名前に食いついてくれるし、話は続くし、よく覚えていてくれる。
「アミナタ・ジョップ」は、私の第ニの名前だ。
知り合い:アミナタ!
私:あ、久しぶり!元気?!
知り合い:元気だよ。仕事は順調?
普通にこんな会話をしていて、ふとおかしくなって笑ってしまった。私も相手も、「アミナタ」という名前が、違和感ない共通の認識になっている。
でも実は、この感じが好きだったりする。日本とは全く別の国で、別の名前で人間関係を作っていく感じ。本名とそれに伴う人間関係だけでは完結しない感じ。うん、いいな。
名前は大切だけど、これだけがすべてではない。本名とアミナタ両方知っている人もいるし、片方しか知らない人もいる。
このゆるーい感じのおかげで、名前に関係なく「私」という人間そのものを直視できている気がする。