イスラム教の犠牲祭タバスキに行ってきた。
この祭りは、一家に一頭羊をさばいて食べるイスラム教の一大イベントで、西アフリカでは特にこのように呼ばれている。
前回チェブジェン作りをした友人が招待してくれたので、私も祭りに参加することができた。
当日の朝私が家に着くと、男性陣はモスクへお祈りに行っていて不在。羊をさばくのは男性の仕事なので、女性陣は料理の仕込みをしながらその帰りを待っている。私も到着するなり、彼女たちと一緒に仕込みを手伝った。
しばらくすると男性たちが帰ってきて、羊の解体が始まる。あっという間に各部位に分けられた肉は、当分羊料理が続きそうなくらいの量。
女性たちは、手早く調理に取りかかる。
昼過ぎには一品目の料理が出来上がり、家族や招待された参加者みんなでいただいた。
新鮮な肉なので、臭みもなくやわらかいうえ、スパイスも絶妙にきいていて文句なしの美味しさだ。
その後はいつも通り何をするでもなく、それぞれがゆったりと時間を過ごした。
人々は、この日のために羊を用意するのはもちろん、服を新調し、髪を飾って化粧をしたり、おもてなしの食材や飲み物を買ったりと、準備に大忙しだった。
タバスキ数週間前から当日にかけては、売り物の羊が街にあふれ、野菜の値段が上がり、商品も品薄になるなど、普段とは違った様子がみられる。
一方で、祭りまでの期間は様々な出費のためか、窃盗が増える傾向にあるといわれている。犯罪はいけないけれど、それほど必死になる人がいるくらい、誰にとっても重要なイベントだ。
また、羊の命をいただく過程は、子供たちも普通の光景として見学している。彼らは皆、食べ物がそれぞれ一つの命であることを小さい頃から体感的に知っている。
日本では命の教育をめぐる様々な議論がなされるけれど、「生きる上での当たり前」を学ぶのに早い・遅いはない。今回子供たちの様子をみて、日本でも少し肩の力を抜いて、もっと本質的なところを見てはどうだろうと思った。
「生活する」ということは、イベント当日だけでなく前後の盛り上がりや余韻にも身をおくということだ。その土地の人々が大切にしていることを、私も少しだけ見させてもらい、ワクワクや幸せを分けてもらう。
やはり改めて思うが、自分の足で、目で確かめることが大事だ。実際に見てみると、本や記事だけで得た情報と、五感で学んだことには雲泥の差がある。
生のセネガルを見続けたいと思う。