今回は私がなぜ移住することになったのか、これまでの経緯や思いを改めて書きたい。
経緯
さかのぼれば長い話になるが、私がアフリカに興味を持ったのは小学生の頃だった。きっかけは児童向けの本で、何気なく手に取ったその内容に何か惹かれるものを感じ、いつか行ってみたいという漠然とした想いを持った。
大学生になり、長期休みを利用して東、西アフリカに何度か渡航すると、ずっと遠い憧れであった地が、実際に自分の心身に合っていることがわかった。
インフラの不便さや衛生面も私にとっては気にならないし、なによりも現地での「生きている実感」に心底満たされた。
さらに、一年間大学を休学して長期の現地生活(インターン留学)を送ることにした。さすがに外国人として現地に入る難しさや価値観の違いを痛感したが、それらのカルチャーショックを経てもなお、現地に惹かれる気持ちに変わりはなかった。
留学の帰国直後からコロナが広がり、卒業後は2年間地元の島根で働いた。ただ、その間もどうやったらアフリカへ行くことができるか考え、機会をうかがう毎日。
そして、セネガルでの仕事のご縁をいただいたこのタイミングで、ついに移住することに決めた。
職場は、首都ダカールにある日本食レストラン。学生時代からお世話になっているこの場所で、店舗の運営から料理まで幅広く行う予定だ。
なぜアフリカ?
なぜアフリカがいいのか?という疑問を、数え切れないくらい投げかけられた。
私は、なぜアフリカに惹かれるのか。かれこれずっと考えているのだが、これだ!と明確に答えられる理由はない。どちらかというと複合的に様々な要素が重なり、結果として「こちらの方が私に合っていた」という感じが正しい。
人々の陽気さ、家族のような距離感。精神的な豊かさ。ゆったり流れる時間。日本に比べると不便かもしれないけれど、私には気にならない生活環境。
私が人生で大切にしたいことが、見事にこの地(特にセネガル)の環境と合致した。現地の人々や生活のことを考えると、理屈では説明できない、何か好きなものに引っ張られるような不思議な感覚になる。
将来は?
なぜその歳で、将来はどうするの?という質問もよくされる。結論から言うと、人生プランは特にない。
私としては、その時やりたいことをその時にしていたら、気づいたときにはセネガルにいた、という感じ。外的要素と内的要素それぞれのタイミングが「今」合ったからここにいる。
私は「将来の幸せのため今〇〇をする」というよりも、「毎日の幸せを実感していたら自然によい将来ができている(のではないか)」と考えるタイプだ。今、自分が快適な方へ、これだと思う方へ進みたい。
小さい頃はアフリカを支援したい、貧困問題を…などと大それたことを思っていた。しかし実際に現地で過ごし、また自分の内面を掘り下げるうち、考えが変わった。
アフリカを支援の対象ととらえるのではなく、私も外国人として皆さんの生活にお邪魔させてもらい、一緒に日々を営みたい。文化や精神の豊かさを分けてもらい、時を共有し、一緒に幸福になりたい。今はこう思っている。
どのような「解決すべき問題」にせよ、住んでいるのは彼らなのだから、その生活や空気を知らなければ何も言えないだろう。また「日本経済のため」「最後のフロンティア」という言葉も聞くけれど、現地の生を知らずに何かをしても、それは搾取で終わる(搾取できたとしても長続きしないと思う)。
私がこれから日常をやっていく中で、セネガルや日本社会のためにできることが見えてくるかもしれない。その時に初めて、私は現地の人とともに課題に取り組み、よりよくするための力添えをしたい。
まずは、自分がここで生活させてもらうところから。順番はこうであると思っている。
私のような考えを持つ人がいてもいいのではないだろうか。
アフリカで生きる
セネガルでの私の生活は日本でのそれと大差ない。
毎日をただひたすら、丁寧に生きる。
今後、より自分に合った場所ややりたいことが出てくる可能性は大いにある。そうしたら、その気持ちに素直に従い、思った通りにやってみようと思う。
※アフリカ、アフリカと書いているが、50か国以上ある大陸をこのようにひとくくりにして話題にすることには抵抗がある。それを踏まえたうえで、ここでは便宜上使用している。
私は一部の国にしか行ったことがないので「アフリカ」全体は到底語れないが、少なくとも、私が訪れた国(セネガル、ベナン、タンザニア)で抱いた印象は上の通りで、私に合っていると感じた。今後他の国に行けばそれだけ新たな発見があるだろうが、それもまた楽しみにしている。