セネガルで暮らしながら

アフリカでのささやかな日々の中、ふと思ったことを書いています

値段交渉の文化

日常的に値段交渉をすることが多いセネガル

タクシーに乗るときや洋服市などで買い物をするときは、距離や商品の大体の相場を基準に店主と交渉している。

私たち外国人は、はじめから2~3倍の価格を言われることがざらだし、特にお土産屋さんなどでは法外な値段からスタートすることもある。相場を知らない商品は、現地の友達に聞いてから買うことも多い。

といっても、この交渉はセネガルの人も同様にしているので、外国人だから、というよりはむしろ土地の文化といった感じだ。

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最近、この値段交渉や物の価値に対する考え方が、学生時代(4年前)と変わったことに気がついた。

留学していた当時は、損をしないようにと、常に気を張って買い物していた。現地の人と同じ価格でサービスを利用したくて、5円~10円でさえ、時に売り手が悲しそうな顔をするくらい必死に値切り、思った値段になると満足だった。

恥ずかしながら私の頭には、「相手は騙そうとしているので払いすぎるのは損だ。現地価格で買えたら得だ」という単純な思いしかなかった。

 

でも、ここで暮らすようになった今、当時のこのような態度は間違っていたと思う。

すべてのモノやサービスに当てはまるわけではないけれど、自分が満足すれば、その分少々高くてもよいのではないか。また自分の許容範囲であれば、外国人として少し課金されてもよいのではないか。と、こんな風に考えられるようになった。

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こうなったのは、日本で社会人をして金銭感覚が変わったというのもあるけれど、値段の決まっていないこの文化に身を置くことで、「その都度変わる価値に対してお金を出す」感覚が身についたことが大きい。

当時の私は、「数字に示される金額」が価値のすべてだと考え、物の値段が決まっている日本の感覚で、現地の人と同じ価格であることが当たり前だ、と思い込んでいた。

 

でも、モノ(サービス)の価値は、単純な数字だけではないんだよね。提供されたモノの質や感じた気持ち、お互いの経済状況なんかもすべて関わっていて、それを総合的に見積もったものが本当の価値(に近くなるの)だと思う。

この気持ちの部分って、バラエティに富んでいて、状況によって上りも下がりもするのだなと、ここに暮らして実感する。これは、価格が固定されていて常に質の高いサービスを受けられる日本にいては気づきにくいことだ。

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もちろん悪い気持ちで売ってくる人もいる(実際に騙されたこともある)から一概に言えないけれど、はじめから騙す/騙される、損/得、という気持ちでいるのは違うと思う。

 

お互いが気持ちよくサービスし、されることができたらいいな。こう考えている今は、当時より暮らしやすくなったし、自分も相手もハッピーだ。

日常の小さなことにも、自分の考えを持って暮らしたい。