セネガルで暮らしながら

アフリカでのささやかな日々の中、ふと思ったことを書いています

哲学おじさん

セネガルで生活していると、町中で何もせずただ座ったり立ったりしている人をよく見かける。朝でも夕方でも深夜でも、何も持たず遠くを見つめている人々。私はそんな人を見ると、無性に「哲学おじさん」と呼びたくなる(おじさんだけではないけど)。何をするでもなく物思いにふけっている(ように見える)その様子が、とても素敵だ。

「哲学おじさん」を見ると、何かで読んだあるエピソードを思い出す。欧米人がアフリカの村に住む農民にソクラテスの哲学について説明したら、「なんだ、いつも私が考えていることと同じじゃないか」と言われた、というもの。世界の不思議、存在の不思議について考えるのは、だれでも同じなんだよなぁ。

もちろん、みんながみんな哲学的なことを考えているわけではないけど、こんな風に立ち止まる時間はもう日本にはほとんどないのではないだろうか。「哲学おじさん」は、いつも何かに追われている私たちからは想像できない、何か大切なものを得ているのだろうな、と思う。たぶんそれは、生産性とかいう経済的な指標で表されるものではなくて、もっと精神的な部分、心の豊かさにつながるものだ。生きていく上では結局、こっちの豊かさの方が大事なんじゃないかな。

何もしないでいられる、余裕を持った人々。そしてそれを普通の光景として受け入れている社会や世間。何もしていないからって他人のことまで責めたりしない。こうしたいろいろな条件がそろって、「哲学おじさん」のようなセネガルの風景ができているのだと思う。

みんなが哲学できる国、と言ったらちょっと大げさかな。でも私は、セネガルのこういうところが好きだなぁ。

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