セネガルで暮らしながら

アフリカでのささやかな日々の中、ふと思ったことを書いています

認知機能フル活用

セネガルの道路には信号が少ない。中心部でたまに見るくらいで、その他は交通整理の人が笛でピーピー誘導してくれていればよい方。それ以外の場所では、運転手や歩行者の判断ですべてが動く。ダカールの道路は、いつもひどく渋滞している。

車と車、車と人の距離感が日本に比べて圧倒的に密なので、自分の認知機能を研ぎ澄ましていないとやられてしまう。車どうしがちょっとこするのは普通のことだから、運転手も全く動じない。渋滞の隙間に入ってきたほかの車やバイクにサイドミラーをグネっとやられているのもよく見るけど、怒ることなく手で元に戻すのは、セネガル名物だ。

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歩行者の私も同じ。自分で判断して、道路を渡る。車が来ていたら片手をあげて待ってね~と自己主張。半分まで渡って、数台やり過ごしてから残り半分を渡ったり、渋滞している車の間を縫うように進んだり。ぶつかりそうに見えるけど、運転する人も歩行者が飛び出してくるという意識なので案外大丈夫だ(用心するに越したことはない)。

こっちで生活していると感覚が狂う。日本ではちょっとぶつかっただけで警察を呼び、車通りが多いところでは横断歩道を使うのに…。あれ、こんなにテキトーでいいんだっけ?すべての距離が近くて、人の息が感じられるセネガル。車が動いているんじゃなくて、車に乗った人が動いている感じというか、道路でも声を掛け合うコミュニケーションがあるというか…。日本はよりきっちりしていて、より無生物的だ。信号などの機械や警察、交通ルールを介して相手と関わる感じ。

こういう距離感とかマナーって、そうしようと思ってできたものじゃない。車が普及する過程や道路の状態、法律、国民性などいろいろな要素が混ざって今のそれになっている。どちらがいいとかではなくて、自分の住む場所に合わせるまでだけど、セネガルにいる今の方が毎日頭を使ってるな~と感じる。ちゃんと考えていないとやられてしまうからね(笑)

今日も認知機能フル活用。

こういうとき、生きてるな~と感じる。

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