セネガルで暮らしながら

アフリカでのささやかな日々の中、ふと思ったことを書いています

「世間知らず」でいい

別の惑星に住んでいるみたいだ。

セネガルで生活していると、日本の情報に触れる機会がほとんどない。TVや新聞が身近になくなったので、最近のニュースをよく知らないまま過ごす日々だ。

たまに人から聞いたりスマホで見たりしても、時間差が出るのでタイムリーな社会の空気までは感じることができない。母国の出来事が何か遠い世界のことのように思える。

最近の事件や流行りを知らない私には「時代遅れ」や「世間知らず」という言葉がぴったりだ。

 

でも、これでいいのだと思う。

実際、日本のニュースから離れてみて感じるのは、自分が生きるために必要な情報はほとんどなかったということ。

どちらかというと、私たちがそれらから得ているのは情報ではなく共感だ。ある出来事について世間がどのように評価しているのか、かわいそう自分じゃなくてよかった、誰を謝罪させるべきか、あっちが悪でこっちは正義だ共感を誘いながら進められるニュースの議論は、人々の娯楽といってもいいくらいだ。

 

だから、ニュースが届かなくなっても私の生活に影響がないのは、当然だ。そもそも共感を誘う大事件の報道が自分の毎日にプラスに働いていたはずないし、本当に重要な社会の出来事は時間差があるにせよ確実に届く。

むしろ、こういう雑音から離れられて思考がすっきりした。自分がどういう人間でありたいか、大切にするものは何か、何のために生きるのか。自分をみつめてこういう本質的な問いを考えるようになって、人間として深みが出た気がする。後々の人生で効いてくるのはこのあたりなのではないだろうか。

というわけで、私にとっては「世間知らず万歳」だ。(…気づけばここまで吹っ切れていた私はこれからどうなっていくのだろう。)

 

前から気になっていた、『木を植えた男』という絵本を読んだ。

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フランスの田舎に住む男が、何十年も、ただひたすらに木の実を植え続けるという話。

彼にとっては、第一次、第二次世界大戦も関係なかった。ただひたすら自分のやるべき仕事を孤独に続け、その結果、大勢の人の生活や生態系に影響を与えることになる。

 

私は断然、彼のように生きたい。自分の人生と仕事をじっくり見つめて、静かにそれをやる。周りでどんな事件があろうとも、社会が混乱していようとも、まずは目の前のことを地道に、淡々とやっていく。

これは、社会に見切りをつけた隠遁生活とも少し違うように思う。何も考えないまま簡単に社会に影響されたり、他人の事件に執拗に口出ししたりするのではなく、まずは黙って自分のことをしっかりやる。自分の人生を自分で使う。

こういう地道さは、短期的には大きな変化が見えないけれど、確実に何かを変えている。場合によっては、この彼のように社会をよくすることだってある。ただ本人にとっては社会に評価されるかどうかは重要じゃなくて、その時々の満たされた今を生きているだけなのだけれど。

 

こういう風に生きたいなと思う。

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