「ゆったり存在する」
…今の自分にしっくりくる言葉が見つかった。ノートやスマホのメモにつらつら文章を書いていると、ふとこういうことがあって嬉しくなる。
意識のどこかでは思っていたのだろうけど、頭で考えただけでは出てこなかったような、そんな言葉。それが気づいたらノートに書かれていて、字面をあらためて見返したとき、ハッとする。あ、これだと不思議な納得感。他人が書いたようにも見えるけど、しっかり私の中から出てきた言葉、こういうものを大切にしていたい。
やるべきことが多い時代だ。
家族や友人、その他の人との関わり。生活費、やりがいのための仕事。各種税金や保険の手続き、契約などのお堅いこと。家事、家のメンテナンス。モノの購入。趣味や自分のやりたいこと。自己との対話、自分を心地よく保つこと。そのうえ遠くからは、「人生の目標や志を持ちなさい」という世間の声や、欲望を刺激する情報がたくさん流れてくる。娯楽もあふれんばかりだ。
いやぁ、多すぎる。いくら平均寿命が延びたとはいえ、やるべきこと、やりたいことはそれ以上に多くなっている。どう考えても人生の時間とつり合いが取れない。
私はとくべつ不器用だから、とてもじゃないけどこれらすべてをマネジメントできない。
やりたいことをあれもこれも少しずつ進めつつ、欲望をあおられながら世間の声にもこたえる…。現代人は大変だ。何が自分にとって大切かよくよく見極めないと、あっという間に時間が尽きてしまう。
やるべきことがわっと重なり、おや、危ういぞと最近も思った。
だからこそ、この言葉が今の私から出てきたのだと思う。
「ゆったり存在する」
どんなにやることに追われたとしても、本来は「ただ在る」、これでいいんだよと自分自身に言ってあげる。
社会が忙しくビュンビュン進んでいって自分だけ取り残されても、私は気にせずゆったりと今にとどまる。私にとって大事なものは、世間が忘れ、置き去りにしていったものの中にあると思っている。
このことは日常の雑事にうもれ忘れがちなので、定期的に思い出すようにしよう。
いつだって世界にドカッと腰をおろして、こんな風に在りたいと思います。