セネガルで暮らしながら

アフリカでのささやかな日々の中、ふと思ったことを書いています

読書あれこれ

自宅兼職場の本棚が充実している。 在セネガルの法人団体から譲ってもらった本もあり、ちょっとした図書館だ。

自分の選書でない分、これまで気になっていたけど読んでいなかった作家や読みなれないジャンルなど、新たな本との出会いが楽しい。自分が気に入って持ち込んだものだけではなくて、こういう偶然のめぐりあわせも大切にしたい。

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私が特に好きで読んでいるのは、哲学や歴史などの人文書、あとはエッセイ、詩集などの文芸書。古代中国やギリシャ・ローマから、古今を問わず世界中の人たちと会話する。このことは前も書いたけど、本の中で気の合う人に出会ったときの嬉しさたるや、これぞ読書の喜びだ。

他方、小説に関しては多読しているというわけではない。毎回深く感情移入してエネルギーを使うので、心のペースに合わせて不定期に取り入れている。このペースで人生のうちに読める小説の数を考えるとおいそれと何にでも手を出せないので、とびきりの傑作や古典の精鋭をじっくり選ぶことになる。ひねくれているかもしれないけど、私はやすやすと小説の流行には乗らない。「流行しているから売れている」パターンもあるので、ここだけはいつも慎重だ。その点、数百年数千年残っている古典を選んで満足できなかったことはないから、結局ここに着地することが多い。

 

今読むべき本や人生に必要な本は、必ず順番に、タイミングを見計らって自分の前にやってくる。考えれば考えるほど不思議だけど、これはかなりあたっていると思う。もちろん、その時の自分に響く部分に感動するからそう思うのだ、とも言える。でも、やっぱりそれだけでは説明できない、何かめぐりあわせの力があるように感じる。

最近でいえば、ヘンリー・ソロー『森の生活』がそれ。読んでいる本やYouTube でよく話題に出てくるなー、気になるなー、と思っていたら、上記の本棚でたまたま遭遇。ああ!きてくれたんだ、と微笑ましくなった。私の理解力や、関連書の読書歴などのタイミング的に、まさに今という感じがしている。(『森の生活』半分くらい読んだけど、かなりいい。)

 

読書のあれこれでいえば、最近は音の力を再認識している。古い詩や古典ほど、声に出して読まれることを前提に作られたものが多く、音にしてこそその美しさがわかる。特に『方丈記』なんかは格別で、私もよく声に出して長明の美文を味わっている。

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