セネガルで暮らしながら

アフリカでのささやかな日々の中、ふと思ったことを書いています

雨季のダカール

7月末頃から、セネガルは雨季だ。今年は比較的降水量が少ない方みたいだけど、一度ザァーと降ると道路は水と泥であふれて、ぐちょぐちょになる。

こちらではあまり傘やカッパを見かけない。雨が降っていたら一度雨宿りするか外出をやめるからだと勝手に思っている。傘をさしている人もいるにはいるけど、人の多さの割には少ない印象。ここでは、雨は予測不能で仕方ないことなのかもしれない。一方自転車に乗る人はよく見かけるようになる。泥の水たまりに足をつけなくてよいので、便利な乗り物だ。

スコールの大きな音で早朝に目が覚めたとき、私はどちらかというと雨のことが好きだと気づいた。外出しなくてよい時間だからというのもあるけど、その気持ちのいい雨音に直感的な好ましさを感じた。雨季の晴れ間が数日続いた後、空にたまっていた水が一気に放出されたような激しい雨。人工的な音をすべてかき消してくれる感じが、とてもよかった。

私は低気圧に身体が反応するタイプ。前夜からのよくわからない不調はこのためだったのか、と納得した。原因がわかると妙にすっきりして、雨のことがむしろ愛おしくなる感じがする。身体はいつだって地球と一緒に動いている。

雨の、この懐かしさは何だろう。本来の自然に戻るような、原始的な喜びがある。薄暗い早朝に窓の下で雨音をききながらじっとしていると、身体の外で音がしているのか内でしているのかわからなくなってくる。雨粒と自分が一体になる感覚。この音、生まれる前から知っていたような気がする。母のお腹の中できいていたような、いやもっとその昔、何億年も前から知っているような、そんな懐かしさ。

心地いい雨の音、ずっときいていたくなる。

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