セネガルで暮らしながら

アフリカでのささやかな日々の中、ふと思ったことを書いています

ミミズなので

自分を動物に例えるとなんだと思います?

私は考えれば考えるほどミミズだと思えてきたので、 そのことについて書きます。

 

まず、土の中が好き。

土というのはいろいろ言い換えられるたとえですが、静かで心地いい、あたたかくて平穏なところでゆったりしていたいです・・・自己の内側を探検して、この世の不思議に思いをめぐらし、本を読んで、詩なんかつくって。外世界の太陽の光に照らされ続けるのはつらいです。

・・・ところで、現代の競争社会や消費社会、SNS社会ってアスファルトみたいじゃありません? これらを否定するつもりもないんですが、長時間いるとどうしても疲れてしまう。ミミズの私はまたたくまに干からびそうになります。

目標、成長、効率、進歩、競争、だれかのために何かをしなさい・・・そんなこと、社会の側に押し付けられたくはないです。何もしなくても、見られなくても、知られなくてもいいんです。ただ、私の分解・排出した何かで土が肥え、草木が育ち、生命は循環していく。これって、私の力ではなくて自然が勝手にしてくれることだと思います。私はその一部であるだけ。

そして最後には自分の身体さえも大地の栄養となる。外部におおっぴらに宣言しなくても、静かに誰かの土になる、もしならないならならないままでただ在り、消えていく、そういう存在でいいと思っています。

外世界が苦手といっても、自分から日なたに出ることもあります。ぬくぬくと長生きするために生きているのではない。だから時には灼熱のアスファルトだって旅します。あくまでも自分から。

・・・それでも、やっぱり最後には土の中へ帰りたくなるのですけどね。大好きな葉っぱやあたたかい土に囲まれた、絶対の安心感のうちに、ゆったりのたうつ。 一匹だけど、不思議と寂しいなんてことはありません。

それぞれの適性がある。私の居場所は土の中。

ミミズなので、私は。無理やり外へ連れていって、無理やり干からびさせるのはやめてください。自分の意思で出るときはますから。

 

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この世には生物の数ほど多種多様な人間がいて、それぞれの性質がある。だから、みんなが同じように陸の日なたで生活する必要も必然もなくて、土の中や海の中の方が呼吸がしやすくて心地いい人がいる。強制的にどこかにつれだしたって、陸のルールを押し付けたって、全員が同じように感じるわけではない。

自分の性質をよく理解して、違いを認めあうところから。

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