セネガルで暮らしながら

アフリカでのささやかな日々の中、ふと思ったことを書いています

どう生きたいか

年が明けた。

セネガルは年末感がなければ年明け感もない。 1月3日、街はいつもと変わらない風景だ。

一方、日本の年始のニュース。心配な一年のスタートで心が痛む。

 

新年、これから自分がどう生きたいか考えてみた。

「善く生きる」「自分の世界を充実させる」

…この2つが浮かんだ(新年の目標だけど、おおよそ去年と同じだし来年も変わらなそう)。

 

「善く生きる」

人間界の喧騒のなかにいると埋もれがちになるけれど、善く生きたいという湧き上がるエネルギーのようなものが自分の奥底に意識される。道徳とか社会の常識のように後から教育されたものではなくて、先天的に内に備わっているもの。

この湧き上がる”それ”を大切に、尊重して、育てていきたいというのが今後の目標だ。

私はちょっと愚かにみえるくらい、馬鹿正直で純粋なところがある。嘘がつけないし、何でも信じて何度も騙され、そのたび傷つく。内から湧き上がる“それ”とは、私をこういう人間にさせている”それ”のこと。

でも、この「世界に対する純粋さ」、現代では稀有なんじゃないかと最近気づいた。私は、こうとしかあれない自分を、このままでいいよと認めて、大切にしてあげたい。

もちろん失敗はたくさんある。自分の嫌なところに気づかされる毎日だ。それをよくよく自覚して受け止め、それでもなお善く在ろうと努力していたい。

(※ここでの「善い」は、道徳や社会のルールを超越した「善い」のこと。「良いことをする」とは少し違う。わかる人にはわかってもらえると思う)

 

「自分の世界を充実させる」

自分の世界や自分のペースを大事にする。未だに不本意なことをしてしまって、後から違ったな~と思うことがある。自分にも他人にも迷惑をかけないように、そういう苦手なものからは極力距離をとりたい。

ただ、人生における乗り越えるべき壁は、どういう生き方をしたって、どんなに逃げたって、目の前に現れる。来たるべきそれらに対応するためには、自分の世界を耕して耕して、確固たる軸や心落ち着ける場所をつくっておく必要がある。 これまでもやってきたつもりだけど、今後さらに充実させたい。

 

善く生きようとしたり、自分の世界をつくったり、こういう小さな積み重ねが、人力ではどうにもならない自然災害や人生の困難に対応する自己の基盤になるのではないかと思っている。(そのような困難に比較的あわない人生でも、死は必ずやってくる)

天災・人災などの困難や死は、自分にいつ降りかかるかわからない。技術や逃避でどんなに抗い忘れようとしても、完全に無くすことは不可能だ。用意できるとすれば、自分の側=精神の側だけ。

 

だから私は、「善く生きる」「自分の世界を充実させる」 を今年以降もやっていきたいと思います。

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