セネガルで暮らしながら

アフリカでのささやかな日々の中、ふと思ったことを書いています

料理を待つ湯気は、世界共通の言語

スタッフが日替わりでアフリカ料理をつくって、みんなで囲む。職場で過ごすこの時間が気に入っている。

雑談をしながら待つ、ご飯ができるまでの時間。少しづつ出来上がっていく料理のいい匂いに、適度な空腹感が合わさって食欲がわいてくる。

ご飯を待つ湯気は、世界共通の言語だ。言葉がなくても、あと少しで出来上がる美味しいものを待つこのわくわくは、誰もが共有できる幸せの象徴だと思う。

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日本では忙しい日々に流されて適当になりがちだけど、アフリカでの”食事”は一日のルーティンの中でも特に重きが置かれているように感じる。

栄養補給はもちろん、味を楽しむ、コミュニケーション、仲間意識の形成…。じっくり時間をかけて料理を作るというのも、単に調理法の問題だけではなくて文化の影響があると思う。

みんなで一つの皿を囲むセネガルの風習は、同じ仲間(家族)であることを確認する意味で特に重要な意味を持つ。時間が遅くなっても必ずみんながそろうまで待つのも、それを物語っている。外国人でも、一度同じ皿でご飯を食べたら確実に仲が深まる。

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ご飯を待つ間、ふとこんなに幸せなことってあるのだろうかと思う。

ご飯のために、みんなで同じ“とき”を共有する充実感。私にとっては、どんな大金にも代えられない、高級で豊かなことに感じられる。やせ我慢とか見栄とかではなくて、心からこう思う。お金や地位、名誉よりももっと高次の満足感。

自分の人生で大切にしたいものや、価値を感じるものの独自の基準を持っていると、ささやかな毎日でも幸せはそこら中に感じられる。